1970年から、新商品開発・マーケティングの人材育成のセミナー・コンサルティングと新商品開発戦略、新商品開発システム革新の仕事を続けています。

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考えるヒント:学び合いの場

「幸せを創るマーケティングを深める」メモ

雨の中、参加者9人。ちょうどディスカッションしやすい人数だったのか、参加者の皆さんが熱心だったのか、10時近くまで話し合いが続きました。参加後のメモも多数頂き、まとめてみました。

【まつもとメモ】
・マクロ的に見ると、社会の時間と人間の時間がずれていることから、不安感が生まれているのでは。社会、会社のリズムではなく、人間の体のリズムを取り戻すことが幸せにつながるのでは。→人間のリズム、身体感を取り戻すマーケティング、商品を。
・自然との回路の回復。人工的な中では人間は幸せになれないのでは。ブータンに行ったときに、ブータンの人たちは自然を本当に大事にしていました。→自然を日常の生活に取り戻す。銀座の花水木がきれいでした。新緑が日々濃くなっていくとか、自然=ナチュラル・マーケティングとは?
・今幸せがテーマになっている背景は、社会の成熟化と密接な関係があるのでは。成長の時代は欲望が達成された感があったが、今はその感じが薄れている。→成熟社会のマーケティングを考えなければ。成長時代を経験していない若者の生活スタイルの中に、幸せヒントがあるのでは。脱成長の社会、マーケティングは考えられないか。
・共同体の回復が必要なのでは。アイデンティティーの回復が求められているのでは。
地域共同体、家族共同体、仕事共同体、学び共同体、趣味共同体など。今はネット共同体が肥大しているのでは。リアルな共同体とのバランスがだいじになるのでは。→人と人の絆(血縁、非血縁も含めて)、人とモノとの絆。使い捨てではなく愛着の関係づくり。絆という言葉が使い古されてしまった感じがしています。
・日常の中に幸せがあるのでは。→日常に深さを。ぬか漬けいっぱいの朝食に幸せを感じたり。日常を深く楽しくする提案がだいじでは。
・不幸の裏返しの幸せでなく、もっと積極的に幸せを捉えていくことがだいじでは。
ブータンに行った時に感じたことは、自然の中の生活と、仏教による、みんなの幸せ、利他的な行動、家族共同体・地域共同体がしっかりしている、将来への不安が小さいことなど、多くのヒントがありました。

最後に、幸せという言葉が氾濫していますが、もっと深く考え、提案していかなければいけないのではと思っています。

【参加者のコメント】
<Aさん>
・マーケティング上での幸せを考えるというよりは、これだけ幸せがクローズアップされている時代、マーケティングも「幸せ感」と無関係ではいられない、ということか。
・充足していることを幸せと呼ぶ時代は終わった。自分にとって大切なものを取捨選択する基準をもつこと。シンプルに生活するゆとり。明日のこと・あさってのことを準備する余裕。頑張らない・拡大を目指さない・・・etc。
・商品開発秘話が求められるのは、消費者は自分と商品の間にも「絆」を探しているのではないかと思った。商品を通して伝えるメッセージを今まで以上に大切にしたい。
<Bさん>
・不便と不幸は違う。その裏として、便利が幸せとは限らない。
・震災によって生活価値観はリセットされた。逆回転が始まっている。あって当然だった時代から、なくてはならない理由を求められる時代へ。(結婚、就社などは当然ではなくなってる。でも、子供はいつの時代にもなくてはならないもの、結婚はしなくても子供が欲しいという声を聞きます。)
・成熟とは芯をしっかりさせること。原点と根っこを見つめてゆくと、物事はどんどんシンプルになる。ごてごてに装飾したコンセプトは、調査では空気を読まれて評価されても、実際には心を動かさない。(最近商品開発の際に、最も気をつけていることです。)
・3丁目の夕日のユニバーサルな価値は、人の純粋さ、損得を求めない人間らしい優しさ、ではないでしょうか?あの親父を見ての感想は、「憎めない、あんな親父もいいなあ。」です。
<Cさん>
・幸せの定義(捉え方)は時代によって異なるものであり、「今の幸せ」はややもすると寂しいものになりかねないと思った。ex)日々のちょっとしたことのFBでの共有、震災を経てからの日常に対する幸せ感、人と人がつながっていること(ALWAYSとか)への共感
・しかしながら、マーケティング視点で考えた場合は、商品/サービスを通じて「今の幸せ」を提供する機会が豊富にある気もした。それは、"幸せ=欲望を満たす"という単純な考え方ではなく、「何が心の隙間となっているのか」という意味的/情緒的価値に着目して考えるべきかと。
・日々、現代人の心の隙間は何かについて思いを巡らしたい。
<Dさん>
・「幸せ」な状態にある人は、その状態にあることが当たり前になってしまう為、「幸せ」に対する感受性が鈍くなりがちである。
・「幸せ」は「幸せ」な状態を失った時に自分が「不幸せ」であると感じると同時に、それまで自分が「幸せ」であったことを強く意識する。
・人は、「幸せ」よりも「不幸せ」を強く感じる傾向にある。
なお、あの後も「幸せ」について考え続けています。
<Eさん>
・日本は先進国から脱落するという予測ある。現在の指標なら脱落だが、脱落することによって幸せな国になれる新しいパラダイムを考えることが必要だろう。
・小さな幸せは許容される欲望が満足されたとき出現する。大きな幸せは大きな欲望を満足ではなく、消し去るという宗教的な悟りの境地に来たとき出現するのかも知れない。
・競馬の世界でも、「ミンナシアワセ」という名の馬が走っている。幸せに枯渇しているようだ。